ピポさんブログ

筆ペンで名言を書くのが好きな30代。名言を読んでて引っかかったこと、考えた事を文章に残していくブログです。工作した物メインなブログはhttps://piposan.com/

「どうしよう」と落ち込んでいるのがわかったらこういう状況にしないためには「どうするか」を考えましょう。

考える方向の話ですね。

意識が自分の側、内向きになっている場合は、どうしても「どうしよ、どうしよ」ってなっちゃいますよね。

ワタワタしても何が変わるわけでもないのだけど、なってしまうものです。

実はこの落ち込んでる時というのは、一つの成長のチャンスなんですね。

今回はここで詰まって失敗してしまった。恥ずかしい思いをした。嫌な思いをした。

次に同じ目には会いたくない。じゃぁ何をすれば良いのか?

そもそもなんで詰まって失敗してしまったのか?

原因を考えていくと無駄に多い手順だったり、そもそも必要ない工程を踏んでいたり、

後から考えると訳わからないことしてることが結構あるんですよね。

それらをどうしたらそうならないか、を一つづつ考えていって、一つづつ実行していく。

すると同じ失敗をしなくなるんですよね。

こういう事に考える方向を合わせると良いと思うんです。

ある意味失敗した時に「嫌な思いをする」と言うのが大事なのかもしれません。

だって、2度とこんな仕打ちを受けたくない!嫌だ!という気持ちが強ければ強いほど、

どうしたら良いかを深く考える訳ですから。

だからと言って、ガンガンに言われたり、つらいことされるのは嫌ですけどもね。

気持ちがグラついてる時はそもそも考えることができないので、落ち着く必要がある訳だけど、

「どうしたら」を考えない限り、その失敗から立ち直れないでしょうね。

実際、考えなかった時はずっとダメダメでしたもん。

俗に言う「考えろよ!」というお叱りはつまるところ

「何が原因でそうなって何をどうしたら2度とこうならないか」考えろよ!と言う意味なんでしょうね。

ただし、考えろよ!と怒った所で、そもそも考える力がない人には意味が伝わらないでしょね。

新人さんに教えると言う状態ならば、こうしたら良いかも、と言う答えを

新人さん自身が出せるまで一緒に考えてあげて、「何か失敗したら、今と同じように考えて行動するんだよ」と言うところまで伝えられると良いよなっと思う訳です。

一つレベルが上がれば、誰かが失敗してるのを見て、「何が原因でどうしたら防げたかな?」を考えることができるようになって、

人の振り見て我が振り直せ、ができるようになるんでしょうね。

「どうするか」を考えるのは確かにめんどくさいし、やりたくはないけども、

逃げてる、避けてる間は問題は解決しないし、考えた方が結果的に気分も良いわけよね。

だからこそ考える方向として、内向きの自分に対してではなく、外向きの原因と改善の行動に向けたいですよね。

幸せの基準とは?

あなたにとっての幸せとはなんなんのか?

何を基準に幸せと言えるのか?

それこそ人の数だけ答えがある問題ですよね。

ビジネス本なり、よく聞く答えの一つが「人、物、金の総量」

多分これは正解の一つだと思うんですね。

人脈も物資も財力もあれば大概なんでもできるから。

もちろんこれを目指すのも良し。

僕個人としては「笑顔になれるかどうか」と「自己満足できるかどうか」って所を押したいですね。

家族との会話でふふっと笑ってしまうとか。

ありがとうと言われて頬が緩むとか。

人から見たら小さいことかもしれないけど、笑っちゃうようなことがあると幸せだなと感じる訳です。

それに、自分が自分のために作るものが満足いく出来になると嬉しいですね。

ドヤサっ!てなります。

ある意味自分が幸せになるために物作りしてるとこあるよな、と今書きながら思うわけで。

そう考えると僕は自らの幸せを自分で作り出せる人なんだと言う考えになって、

なんてハッピーな人なんだと、外から見ても思うわけです。

僕は「笑顔になれること」「自己満足ができること」が幸せの基準です。

あなたの幸せはどんなことでしょう?

人生とはないものを嘆くのではない。あるものを工夫して楽しむもの。

あれが欲しい、これが欲しいとは当たり前のようになる訳で。

理想通りに行かないから、結局できない、やれないともなる訳で。

元来人間はないものねだりする生き物なので、そこらへんは仕方ない部分があると思う。

だけど、ないない言うだけで事態が好転する事はないんだよね

それよりも今手元にあるもの、できることを工夫して更に楽しもうという話。

DIYで作るぞ!って時も、まずは余ってる端材でなんとか形にならないか、

その辺に使えるものはないだろうかって探すんですよね。

良いものがあればそれで良し、どうにもならなければ初めて買いに行く。

家にあるものを無駄にしない精神は大事だと思うんですよ。

もちろんあるもので工夫するのも限界はあるので、

新しいものを家にお迎えすること自体は悪くないと思います。

家電とかタブレットとかバイクとか自分では作れませんからね。

それに、ないないって言ってる人には正直近寄りたくないですもん。

なんか負のエネルギーが見えて、諸々吸い取られそうな気がする。

それなら考えて工夫して答えを出してる人の話を聞いた方が全然面白い。

工夫をするところに本人の性格とか色が出ると思うんですよね。

だから面白いのかも。

あるものを工夫して楽しむ。自分で作れなくて、予算が許すなら買うのもアリ!

くらいの感覚がちょうど良いと思うのです。

ありがたかったら他者に同じことをしろ

受けた恩を返すというのがありますが、

本人に返すのはもちろん良いことだと思うのだけど、

どうせなら次に現れるであろう自分と同じ境遇で困ってる人に返すのがいいと思います。

本人に返すとそこで終わりが来ますが、

次の人に回すことで、恩返しの行動が次の人、次の人に回って行くんですね。

僕はその関係の方が素敵だと思います。

恩というほどのものではないにしろ、嬉しかったことでもいいんですよね。

初めてのソロキャンの時に声をかけてくれた、嬉しかった。

飲食店でバイトしてた時にお客さんが「ごちそうさま」と言ってくれた。嬉しかった。

ドア付近で鉢合わせた時に譲ってもらった。ありがたかった。

バイクで移動中、車が前を譲ってくれた。ありがたかった。

嫁ちゃんにいつもありがとうと言ってもらえた。嬉しかった。

バイクのカスタムを褒められた。嬉しかった。

筆ペンで書いたものを綺麗だと言ってもらえた。嬉しかった。

嬉しかった、ありがたかったと思うこと、感じること。

それを他の人にもしてあげましょう。ということ。

自分はされて言われて、嬉しい、有り難かったこと。

もしかしたらありがた迷惑かもしれないけど、思ってることは伝えたい。

Twitterで見かけたDIY作品に良い!と思ってコメントしたり、

ブログで感動したことをそのままDMで送らせてもらったり、

自分がしてもらったら嬉しいなということをする。

欲するならまず与えよ。に近いものがあるかも。

そんで自分がしてもらって嬉しい事はどんどん他の人にもしていく。

相手が喜んでくれるかもしれないし、何より自分が嬉しくなるので

どんどんしようそうしようというお話。

〜してあげてると思う内は分かり合えない。

色々見つけてしまう側からすると、

お節介を焼いてしまいがちで、

あぁした方がいい、こうした方がいい、といってしまいがち。

その行動原理が「自分が気になるから」だといいけども

「あなたのために」だとやばいですね。

あなたのためにが原理だと、私はあなたに〜してあげてるという気持ちになりがち。

これ面白いことにされる側からすると、本性が透けるんですよね。

いやそれ俺のためじゃなくて、あなたのために言ってますよね?ってね。

だからたとえ言ってくれた事が本当にためになることだとしても、

素直に受け取ってもらえることはほとんどなくて、

心の距離は縮まらないことが多いんですよね。

だから存外事務的な受け答えというか、こう来たからこう返す。

とか聞かれた時に丁寧に返すとかのやり取りの方が良かったりもするんです。

自分がお節介だということを自覚して、

一言いうときは「お節介だとは思うんだけど」「いらんお世話だと思うんだけど」「俺が気になるけんいうんだけど」

といったクッション言葉を先に言っておいてからの言いたいことを言う。

この流れがいいでしょうね。

ちなみに「本当は言いたくないんやけど」はNGね。これはほんと言われると腹立つので。

これは「俺が悪者になりたくないから言いたくないんだけど」「これぐらい分かれよって内容だからわざわざ言うのもだるいんだけど」

「言いたくて言いたくて仕方ないんだけど」って意味がかなり透けますのでね。

言わないといけない事は言わなくちゃいけない。言い方は考えないといけませんけど、

そこに要らぬ前置きが入ると、なんやこの人!になっちゃうんです。

言わないといけないことは冷静に端的に伝える。

言いたいだけな事はクッション言葉を置いてから伝える。

これ意識するだけで全然違うと思う。

むしろこういう風にしてくれる人の方が信用できるよね。と言う話でした。

休むことは悪い事じゃなくて、むしろ必ずすべき事


特に予定のない日曜日。

用事があるとしても外に出る物じゃなくて、家の中で自分だけで完結するよう日。

ふと何気なく見始めた動画が思いの他面白く、

気がつけばお昼になり、お昼を食べたと思ったら夕方になり、

夕飯食べたと思ったら夜も更けて、寝たら明日は仕事かぁーとなるまでワンセット。

なんとなくダラダラ過ごしてしまった休みの日って、ものすごい罪悪感があるんですね。ありませんか?罪悪感。

なんか1日を無駄に過ごしてしまったなぁー

もったいないことをしたなぁーな感じ。

1日時間があれば、溜まってたあれもこれもかなりできたのに、

できたのにしなかった自分に嫌気がさしてる、と言うのが正解かな。

だけどダラダラ過ごす時って、決まって何かしないといけない、と思い込んでいて、

しなきゃいけないことも分かっているけど、したくない、という気持ちもあって、

悩んだ結果、保留にして、動画を見てるって流れなんですよね。

そう意味では動画を見るって行為は、逃避になるんですね。

逃避も立派な活動なので、ある意味動画見るのも活動ですね。

そんで自分にしたら半分おやすみでもあるんですよね。

外に出て疲れて横になって、10分ぐらい横になって動画みてから再スタートな時もある。

イライラした気持ちを動画見て落ち着かせて再スタートな時もある。

気持ちのリセットには良いと思うんですよね。

そう、気持ちを休ませる活動といいいますか。

気持ちを整えるといいますか。

つまり良いことしてる訳よね。ずっとしなければね。

逃避もずっとしてたら、何してんの?になるので10分とか30分とか1時間は逃避タイム!として使うようにしたら良いかも。

しちゃダメだ!と思うとしたくなるのが人間なので、

どっちかと言うと、しても良いよ!これをした後ならね。

という風に、した後なら全然おkとしてあげたら遠慮なく休憩できるよね。

それにずっとやっててもトータルで見たら効率は悪かったりするんですよね。

今日はこれだけして毎日続ける方が強いのは本当の話。

もちろん一時的にドカンとやる力も強いのも事実だけど、

継続して続けていける方が結果的には強いと思うんです。

続けて行くためにも休憩という活動、もしくは逃避を上手に挟んでいけたら良いですね。

会話の第1歩は相手の名前を覚えること

初対面同士の会話って何喋ったらいいかわかならい。

実際そうで、どんな内容を喋るのが正解。というのはないと思う。

どちらかと言えば自分がじゃなくて、相手に喋ってもらうのが正解だと思う。

ただし、相手にさぁどうぞとしても戸惑ってしまうはず。

自分がされたらそれはそれはつらいよねと。

だから、「相手を知る」を目的にしたらいいのでは?と思うんです。

その1歩として相手の名前を覚えるところから始める。

名前を聞いて、漢字で聞いて、〇〇さんは〜というフレーズを使って会話する。

そんで相手の好きなこと、得意なことを聞いていって、

その人がどんな人なのかを自分の中に広げていく。

こちらが聞く形になるので、自然に相手に喋ってもらう流れになるんですね。

何を喋ろうかと思えば、なかなか緊張してしまうけれども、

相手はどんな人なのかな?と思いながら聞く分には気楽に行けると思うんです。

そのための第1歩として相手の名前を覚える。これから始めてみては如何でしょう?